林 子平
宮城特派員の花です。 3月30日(日) 秋保の天気

中学・高校と青葉区の子平町(しへいちょう)に住んでいました。
なぜ子平町というかというと林子平の墓のある龍雲院があるからです。
林 子平(はやし しへい)は中学のとき『海国兵談』を書いた人として社会で習いました。
ウィキぺディアで詳しく調べると・・・・
林 子平は元文3年6月21日(1738年8月6日) - 寛政5年6月21日(1793年7月28日)
江戸時代後期の経世論家
海防の必要性を説く軍事書を書いたため松平定信の寛政の改革がはじまると政治への口出しを嫌う幕府に危険人物として目を付けられ処分されました。
最終的に、仙台の兄の下へと強制的に帰郷させられた上に禁固刑(蟄居・ちっきょ)に処され、そのまま死去します。
その心境を「親も無し 妻無し子無し版木無し 金も無けれど死にたくも無し」と嘆き、自ら六無斎(ろくむさい)と号しました。
ウィキペディア 林子平の項へ →

県庁近くの公園に銅像があります。

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